改札を出たらどしゃ降りで、屋根続きのスーパーで傘を買って出たら雨は止んでいた。
荷物と化した傘を手首に引っ掛けて、ぶらぶら揺らしながら雨に光るアスファルトを歩く。
歩いて数分の距離が長くて遠くていつも一刻も早く家に着かないかと思っていたのに、そういえば不思議とここのところの私はずっと、のんびり余裕で歩いている。
追い越していくヒールの音や背広の背中、やけにせわしく映るけど、私だってあんな風だったんだ。
今は家までの道のりがもっとあったっていい気がしてる。
私は夏の夜の涼しさが好き。
暑かったら暑かったで、アパートの壁のヤモリをみつける楽しみがちゃんと待っているけど。
ー  ー ー


悲しいことを無理に打ち消す必要はない。
辛いことが起きても食欲は湧くし、可笑しいことがあったらくすりと笑って、でもそれをちぐはぐだと咎める必要なんてない。
なにがあっても元気なんておぞましい。ひとつの感情だけに四六時中完璧に支配されるなんてさ…嘘だろ?*1
言ったでしょ、夕闇の連帯感は、渦中にいると気付かないんだって。
そりゃいつだって楽でいたいけど、ハッピー症候群に陥っちゃそこで終わってしまう。


肝心なのは遥か彼方の論理なんかじゃなくて、自分自身で触って、感じて、咀嚼することから始まるはず…と思うのは単なる主義の違いなのかもしれないけど、印刷された誰かの立派な言葉をいくら読んだって、感覚がついていかなくちゃただの知識ばか*2にしかならないんだもの。
目の前の壁を見て。そしてその手で叩いてみてよ。
それで疲れたら壁にもたれて休むよ。夕立が降り出したらスピーカの音量をぐっと右に回して、もっと大きな声で一緒に唄おうさ。

*1:(c)真心ブラザーズ

*2:a.k.a.論語読みの論語知らず!