漱石のいうところの「20世紀の堕落」を超えた人に会った。
彼はおいしい餃子のお店を教えてくれ、私たちはマスターにアドバイスを受けながらお腹いっぱいになるまで初めての美味しさを堪能した。
ゆったりとした彼の無防備なほど善良で優しい性質を目の当たりにしていると、ある近しい人を思い出して切なくなった。


私たちの世界は彼のような人が武装せずに生きていくにはますます堕落し過ぎている。
窓の外が見慣れた街の景色に変わり、車が赤信号で停まった時、ここでいいから、ありがとう、と、まだきょとんとしている彼の車から降りてそそくさとドアを閉め、横断歩道を渡った。


いつもの街の慌ただしい風景に取り込まれ、早足で歩いてみても、この二つの世界を繋ぎ合わせることはなかなか困難だった。よく働かない頭で、彼のしあわせを茫然と願いながら改札をくぐった。
彼のほうは私たちにどんな堕落を見ているのかしれないけれど、きっと身を削ることを厭わずにいられるならば、可能性はもっと広がっているのだろうという気がする。堕落の世紀に生きているからといって、ただ嘆いている必要はないのだ。