小春日和/彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄(金井美恵子)

主人公は、私にとってまったく魅力的ではなく、小説としても満足は感じず、「小春日和」は苛々した気持ちのまま読み終えた。でもその10年後が書かれたというのを「あとがき」で読んで、こんなふうにうそぶいていると大人になってどうなるのかがドキドキ気になったので続きも読んでみました。
彼女たちの会話での引用の仕方はまるで文化的知識のバトルをしているようだけど(「8Mile [DVD]」でのラップ・バトルのように)、こんなふうに映画や本やなにやらを、知識として自己武装と会話のタネに使われる(ために消費される)のにはまったくもって辟易してしまう。それらすべての、あなた自身の感想を語ってきかせて、だ(もちろん批評じゃなくて)。何もないが故に、暇にまかせてリスのようにただ知識を溜め込んでいるような虚しさを感じてしまう。
でも、もちろん私がおもしろくないいちばんの理由は、周りに文句ばかり言って、「働かざるもの食うべからず」とか「生き甲斐」なんていう言葉にひっかかりながらもとりあえず寝て食べて次の日を迎えるその日暮らしの30歳独身女・桃子と私は、どんぐりの背比べというやつでほとんど差異はないということなのですが。
たぶん、桃子自身がこの小説を読んでも、面白いとは言わないような気がしますがどうでしょう?
作者にはぜひこのまた10年後を書いて欲しいです、いざ40になって間違っても「お嬢さん」なんて言われなくなった彼女たちがどうしているのかを。それでお婆ちゃんになったらどう思うようになるのかを。書かれないだろうけど…。