地震から半月

この災害によって命を失われた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。


今度の地震津波、そして原発の事故で、それまでの世界は変わった。
今も続く余震の中で、悲惨なニュースや写真や情報に触れている。
もう、少々の揺れには身動きひとつ、話題にすらしなくなってしまった。


地震の日は、何時間もかけて保育園まで歩いたり、次々と入って来るニュースにびっくりしたりしてむしろ躍動的な感覚だった。翌週は会社も自宅勤務になり、息子と帰省し、余震がないとこんなにほっとするのかと平和を享受して、のびのびしていた。
今週になって東京に戻り、再び出勤。もう地震直後のように、電車に乗るときに「家族と離れるとまた帰って来れなくなるのではないか」という不安は感じなくなったけれど、原発のニュース、不誠実な報道に落ち着かない日々。

金曜日はきゅうに疲れが溜まったかのように落ち込んでしまった。
少し雨が降るようだからと、友人親子との食事がキャンセル。雨がこんなにこわいものになってしまったなんて。保育園でも、強いからだを作っていると自慢だった外遊びをさせなくなった。
環境問題に興味がない人々(3Rに無頓着な人々)は、想像力が欠如しているだけなのかと思っていたけれど、今日のように、昨日までと同じだけ電気を使うことが即、隣人や本人の停電につながるという場合でもなお行動に変化のない人たちに、絶望した気持ちになった。
放射能原発の事故のことは私には門外漢すぎてわからないだけに不安で、とびかう情報のなかで、触覚を怪我した昆虫のようになって、肩が凝りすぎているのを感じて、息子のことを何度も思った。


これまで、原発については、現在の技術では1万年も保管しなくてはいけない無責任すぎる核のゴミが出ることや、みんなが地元に作りたくないほど危険ものを誰かに押し付けなくてはいけないことから、原子力発電に頼るくらいなら節電を考えたほうがいいと漠然と思っていたのだけれど、それ以上考えることも、大した行動もしてこなかった。
今度のことで、行くところまで行って、迷走さえしていた日本人の欲望に歯止めがかかると信じる。
この現実を目にしてもなお、「そんなこといっても電気は必要なんだから原発を動かすしかないだろう」と思う人は、アイドルの女の子がいうように、「中毒」になってしまっているんだろう。戦争とおなじように。
今年の夏、寒すぎるエアコンにOLちゃんが震えながらセーターを着て仕事するなんて、ばかなオフィスが絶滅してなかったら、まさに世も末だ。