勤労妊婦生活を振り返る

どうなることかと思った仕事もなんとかぶじに終わり。結局いつもの仕事納めと同じ日になってしまった。
毎日何時間も残業して帰っていた日々から一転、来年はもうまったく会社に行かなくていいなんてふしぎな気分。
がんばった、というより夢中で仕事したせいで、ある程度達成感もあるし、関係者や周囲からも好意的に送り出してもらえてとりあえずは円満休職といえそうでよかった。
みなさんにお別れ会を開いてもらったり、思いがけない人たちからばかりお祝いをいただいたりして恐縮しきり。
私からも、業務外で特にお世話になった人と、あと上司にもちょっとした差し入れを渡した。感謝のきもちだけ、だけど。
だけど実はもっとも感謝したいのは、自分の健康だったりする。
以下、備忘録。

  • 頼られる人/頼られない人

妊娠に関係なく、今回の仕事は私の知識をはるかに超えていたのでいろいろな人によく質問しに行ったのだけど、そういうとき快く教えてくれた人たちというのは、たとえすぐにわからないことでも一緒に調べたりしてくれて、忙しいのにちっとも面倒なそぶりを見せることがなくて尊敬してしまった。人に訊かれることも勉強になると思っているのかな。だけどそういう人たちはやっぱり仕事もできて、いつもオーバーワーク気味のようだった。
逆に面倒がったり、適当にあしらって済ませようとする人*1のもとには仕事も集まらないようで*2、こうして仕事量の不均一が生まれるのかと思ったり。
うまくいかないものだなあとは思ったけど、そういえば前者は役付きで、後者はみごとにヒラの人たちだった…。

  • 通勤列車

通勤の電車の中では席を譲ってくれるのは女の人が圧倒的で(特に20−30代)、シルバーシートでさえ我が物顔で素知らぬふりの男の人たちを目の当たりにするたび、男というものが嫌いになりつつあったのだけど*3、終盤に来て男の人が席を譲ってくれることがぐっと増えて、男の子もかわいいかも、と思えたり。
勤労妊婦はいろいろ大変なことがあるけど、デスクワークの身には毎日の通勤が最大の負担だった気がする。時差通勤などができるようなら少しは楽だったかもしれないけど。
席を譲ってもらうと、なんだか涙が出そうになるのは困った。譲ってくれた心優しい人に「god bless you」みたいなことが言えたらいいのにといつも思うけど、こちらが「気持ちのいい譲られ方」を身につけられたかは疑問。ほほえむってむずかしいね!

  • 気遣い

自分から声をかけなくちゃわからない、と言われるしそうだと思うけど(私自身そんなふうに想像して気を利かせるということはたいへん苦手なほうなので)、たとえ「大変なことがあったら言ってね」と親切に言ってもらえたとしても、やっぱりこちらから「助けてもらえませんか」とはとても言えないものだった。
だから自主的に重いものをかわりに運んでくれたり、奥からさっと立って来客に対応したり、いすをすすめたりしてもらえるのはとても助かったし、ありがたかった。
逆に全然気づいてもらえないと、仕方ないと思ってもばかみたいに落ち込んだり。特に複数で歩くときに歩調を合わせられず、どんどんみんなが遠ざかっていくのは哀しかった。
気が利かないといえども、私もせめて今回気づいたぶんくらいはできるようにならねばー。

  • 武勇伝

勤労妊婦の先達の武勇伝も聞きたくないものだった。「私はこんなに大変だった」と言われても、こちらは「そこまでしなくちゃいけないの?」と負担になるばかり。言ってる方は気持ちよさそうだったけど。
きっと甘いのだろうけど、私は「あれなら私も仕事辞めずにこどもも育てたいなー」と後輩ちゃんたちが思えるくらいの普通さで働けたらいいのになあと思う。少なくとも傍目には。
そんなに特殊な苦労や無理を重ねたくもないし、重ねる必要もないと思っている。必死でぼろぼろな姿ばかり見せられても、後に続く身としては暗澹たる気持ちになってくるだけ。
中小企業にすぎない私の勤める会社では、実際にはそうなって辞めたか、武勇伝の所持者しか残っていないとしても。



もっともっといろいろあったけど、もうすでに初期や安定期の頃のいろいろな記憶を忘れはじめてしまっているように、今の時期の大変さもみんなやがて忘れてしまう気がして、一部ですが書き留めてみました。年を重ねたぶん、体験や記憶も重ねていかなくちゃね。

*1:自信がないのかも?とも

*2:こちらもそういう人たちにはもう相談しないし

*3:いつの間にか女の子希望になっていたのはこのことと無関係じゃないと思う