ママッ子

冬から急激にママッ子になった息子。
秋頃は随分パパッ子だなと思っていたのに。
0歳児の後追いなどもおとなしい方だったのに、最近は
「ママー」
と階段から呼ぶ声がよく聞こえる。
寝る時も「ママノフトン」と言いながら私の布団に入って来る。
ただし、昆虫のように頭からのそのそ突っ込んでいくのでしょっちゅう顔が蹴られて痛い*1
「パパの布団は?」と訊いても「メー(だめ)」、「自分の布団は?」と訊いても「メー」、「ママの布団がいいの?」ときくと大きく頷く、のはかわいい、けど狭くて寝づらい。でも、きっとこんな時期もそんなに長くはないんだろうなと自分に言い聞かせている。
夫がふざけて私に抱きついたりすると、それに気付いた息子が「ナニソレ楽しそう!ぼくもやる!」というかんじで顔を輝かせて近づいてきて、私は二人に抱きつかれることになる。
この子どもの「意味もわからないけどおとなの真似」っていうしぐさは大変にかわいい。もちろん、ついに始動した「イヤイヤ期」の息子になにをするにもフギャーとわめいて逃げ回られて、ため息が出ることもあるけれど。


言葉はまだまだで、ものの名前があまり言えない今の息子には仏語の女性名詞/男性名詞のように「ママ名詞」「パパ名詞」がある。
私のマグカップ=ママ、夫のマグカップ=パパ、のようにそれぞれの所有物を「ママ」「パパ」と呼ぶのはもちろん、新聞=パパ、じょうろ=ママのようなかんじで、普段の観察から一般名詞もどちらかに変換して出てくる。
「おたま」とか「洗濯かご」なんかを「ママ」と言われると良妻のようだわといい気にもなるのだけど、不本意なものもあったり*2、なんだか試金石のようで少しドキドキ。


出産前、子育てによる負担が莫大なことに気付き、「子どもがもたらすのって結局かわいさだけでしょ。それだけでよくみんな子ども生む気になるなあ…」などと思っていたことを最近おもいだして、そうでもないなと思った。なにより子どもがくれる愛情がなにものにも代え難いんだねー。
ひとりの気ままな時間や、美的/美食探求や、望むだけの交際や仕事や、いろんなものを手放してもなお、それは輝きを失わないから、私は子どもを生んだことに露ほどの後悔もないのだろう。
同じ枕に頭を並べ、うれしそうな笑顔でただ「ママ」と何度も言う息子に「なあに」と繰り返し答えながら、もう飽きたなーあと何回かなーと思いつつも、呼ばれるかぎりこたえよう、と睡魔に負けるまではがんばるのであった。

*1:息子の走地性と呼んでいる

*2:例示できないのがもどかしいですが