保育園の先生

最近の私は、変化、もしくは成長を続ける息子(1)に対応できず(端的にいえば、やんちゃになってきた息子に手を灼いて)、毎日苛々していて、そんな自分に落ち込んで、わりと困っている。
0歳の息子のほほの手触りや、私に向けてくれる混じりけのない笑顔やたまらなくかわいいおしゃべりの声が、苛立つ気持ちを癒してくれるのを実感しながらも、また周囲のあれこれに飽きずに苛ついている。


保育園で朝、新しい担任のA先生に、私が息子のはしゃぎすぎに困っていて、と話したら、
「お母さんに早く迎えに来てもらったら?」なんて息子に言うので驚いた。
保育園にフォローをお願いしたくて子どものようすを伝えたつもりが、むしろ家庭に押し返すような対応をされたという話を先日ママ友に聞いたばかりだったけれど、あのときは「息子の園ではそんなことはないよ、ひどいねー」と完全に人ごとだと思って返事をしていた。
その日はすっかり脱力して帰った。もう少し力になってもらえるかと、私は淡い期待を抱いていた。
しつこく僅かな希望を抱え、別の日にもう一人の担任のB先生にも話してみたが、
「そうですかー、出てきましたねえ」と軽く流された。(何が?自我が?)


保育園の先生たちは、なべてどの先生もいきいき溌剌としているのだけど、エネルギーのかたまりのような子どもたちに囲まれていても、A先生はなんだか心ここにあらずといった雰囲気で、そこだけなにか空気が冷たいようなかんじがする。そのたたずまいは、穏やかといえば穏やかともいえる。
ある日、息子に「A先生はやさしい?」と訊いてみたら、しばらく黙ってから「…目がこわい」。「○○くん、おめめを見たことあるんだよ」と。
内心意外な答えにひるみつつも、そうなんだ、じゃあB先生は?と訊くと、すぐに「やさしい」と。B先生はほかの先生にも怖いと言われるほどびしびし怒るので、こちらは「こわい」と言うかと思っていた。


ボキャブラリーの未熟な子どもでも、「目がこわい」なんて感じるんだ、と感心している場合ではなく、また母は気がかりになる。
A先生と息子(たち)は、どんな空間を共有しているんだろう?